ラフカディオハーンと現代日本

ラフカディオハーンが日本を心から愛し、後に帰化して小泉八雲となって、怪談などの名作を残したのは、皆さん良くご存知のところだろう。

彼は日本人の素晴らしさについて、こんな例を挙げている。


西洋人は表で身体障がい者に出会うと、その様子を遠慮なく、好奇の目でもってじろじろと眺める。ところが日本人はそんなことはしない。まるでそこに何も存在せぬかのように、知らん顔をして通り過ぎる。

無視しているのではない。

障がい者に充分気づかいつつも、彼が見世物にならぬよう、決してじろじろ眺めたりしないのだ。

私は、かつてこれほど心優しい民族に出会ったことは無い。


私も幼少の頃、これと全く同じ教育を父から受けた。ちなみに父は、大正生まれである。

いや、私に限らず、私たち以前の年代の日本人は、みんなそう教育されていたものだ。当然のようにね...

そんな日本人の持つ美徳は、未来永劫のものだとも思っていた。当然のようにね…



ところが、だな。

今の、若者を中心とする、平均的日本人はどうだろうか?

私はうつ病患者である。そういう意味ではマイノリティーであり、社会的弱者の範疇に入るかもしれない。私の好むと好まざるとに関わらずだ。

私が通うクリニックには、外の自転車置き場に喫煙所がある。

ある日、診察の待ち時間の間に、そこで喫煙していたら、通りを行く地元の男子高校生に突然、ルンペン‼︎と怒鳴りつけられた。ルンペンとは、通常、乞食の意味で用いられる言葉だ。彼は地元の高校生だから、そのクリニックが精神科であることは良く知っていたのだろう。彼に言わせれば、私は頭のおかしい乞食、ということだ。

一度も彼に、恵んでもらったことはないがねw


他の日には具合が悪くて、道端で座り込んで休んでいたら、近所の男性に邪魔だと言われてしまった。

仕方ないので、障がい者手帳を見せて、申し訳ないんですが、具合が良くないので、しばらくここで休ませて欲しい旨伝えると……ちなみにそこは、一般公道である.....その手帳が、お前の最期の切り札か!?と一喝された。未だに良く意味がわからないが.....


入院したときに知ったことだが、その精神病院は、毎朝近所を看護婦さんが患者を引率して、お散歩をする。患者の運動不足防止の為だ。

しかし気づいたら、看護婦さんたちは制服でなく、エプロン姿で歩いている。何故?と聞いてみたら、ご近所を刺激したくないからよ、と笑っていた。

私たちは、存在自体が既に社会的刺激物なのだ。


助けてくれとは言わない。

だが、好奇心やいじめ目的で云々するのはやめて欲しい。

迷惑をかけたら叱ってください。

しかし、目障りだとか邪魔だとか、汚らしいなどということならば、放置しておいてくれまいか。



もしもラフカディオハーンが現代日本を見ていたら、はたして、怪談などの名作はこの世に生まれてきただろうか?